大判例

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東京地方裁判所 昭和56年(ヨ)2347号 判決

申請人 山口哲夫

右訴訟代理人弁護士 大竹秀達

同 吉川基道

被申請人 エール・フランス・コンパニー・ナショナル・デ・トランスポール・ザエリアン

日本における代表者 ダニエル・ゲラール

右訴訟代理人弁護士 馬場東作

同 佐藤博史

主文

被申請人は申請人に対し金九〇五万三二五〇円及び昭和五八年一〇月一日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金三六万二一三〇円を仮に支払え。

申請人のその余の申請をいずれも却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一申立

一  申請人

1  申請人が被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、金一九七八万六〇五〇円及び昭和五八年九月一七日以降毎月二五日限り月額金四五万九二一〇円(但し毎年一一月一日から翌年三月末日までは月額金四六万四二一〇円)づつの金員を支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

1  本件申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二主張

一  申請の理由

1  当事者

(一) 被申請人は、航空運輸業を営む会社で、フランス国パリー市に本店を置き、肩書地に日本における営業所を置いて登記しているほか、国内に千葉県成田市の新東京国際空港内等に支店を設けている。

(二) 申請人は、昭和四〇年五月一〇日被申請人会社に入社し、羽田の東京国際空港支店旅客課に勤務し、昭和四八年から同支店運航搭載課に、昭和五三年五月から新東京国際空港支店運航搭載課に勤務していたもので、昭和四八年から同課係長の職にあった。

2  申請人の長期病気欠勤・復職申出と、これに対する被申請人の復職拒否・退職取扱

(一) 申請人は、新東京国際空港支店に勤務していた昭和五四年五月末に結核性髄膜炎に罹患し、同年六月五日以降その療養のため被申請人会社を長期病気欠勤した。

(二) その後、申請人は右完治が見込まれたことから、昭和五五年一〇月ころから被申請人新東京国際空港支店の藤平次長や久保田次長に対して同年一一月からの復職希望と復職に際しては夜間勤務のないタウン勤務(東京営業所での勤務)への転勤を希望する旨の要望を書簡で述べ、また、同年一一月二七日、被申請人会社営業所に出社して同年一二月一日からの復職を被申請人に申し出たが、被申請人は、「原職復帰(新東京国際空港支店運航搭載課)は認められない。タウン勤務のポストもない。」として申請人の復職申出を拒否した。

(三) そこで、申請人は被申請人に対し、同年一二月一日、「昭和五五年一一月三〇日をもって治療を終了し治癒と認定するので以後通常勤務差支えない。」旨の同年一一月二九日付主治医師の診断書を提出し、就労の提供をなしたが、被申請人は申請人の復職申出を拒否して昭和五五年一二月二五日まで申請人の長期病気欠勤の期間を延長したのち、同日付をもって申請人が退職したものとして扱っている。

3  復職拒否、退職扱の無効

被申請人の就業規則第一〇章第二条は、勤務に起因しない傷害、病気について定め、同条第二項は、「長期病気欠勤の場合継続した欠勤期間は下記を越えないものとする。」として、「勤続一〇年未満の者(試用期間中の者は除く)一二ヶ月、勤務一〇年以上二〇年未満の者一八ヶ月、勤続二〇年以上の者二四ヶ月」と定め、「この期間を過ぎた場合職員は退職とみなされる。」と規定している。なお、申請人の場合は勤続一〇年以上二〇年未満の者に該当する。

右規定は、従業員が勤務に起因しない病気等に罹患した場合に一定期間欠勤しうることを定め、右期間中に従業員が勤務可能な状態に回復した場合には被申請人は右従業員の復職申出を容れてこれを復職させなければならないものと解される。

ところで、申請人は、遅くとも昭和五五年一一月三〇日には完治し、復職可能な状態になったのであるから、被申請人は、同年一二月一日以降申請人を復職させなければならなかったのであるが、申請人の復職申出を拒否し同年一二月二五日をもって退職したものとみなしたが、右復職拒否及び長期病気欠勤期間の延長並びに退職扱は前記就業規則に違反するもので無効であり、申請人を同年一二月一日以降復職したものとして被申請人の従業員として扱い、同日以降の賃金等を支払われなければならない。

4  賃金債権

申請人の昭和五五年一二月一日の復職申出以後の賃金及び一時金は賃金改訂を考慮すると別紙1、2のとおりであり、昭和五八年九月一六日までの未払賃金の合計額は金一四七〇万八八一〇円、未払一時金の合計額は金五〇七万七二四〇円となり、同日以後の月額賃金は金四五万九二一〇円(但し一一月から三月までは屋外作業手当金五〇〇〇円が加算され金四六万四二一〇円)となる。

なお、被申請人における賃金支払日は毎月二五日と定められている。

5  保全の必要性

申請人は、被申請人からの賃金を唯一の生活の糧としていた労働者であり、妻と二人の子供もまた申請人の賃金によって生存を維持していたものである。申請人は、昭和五四年九月からの無給欠勤以降長期にわたって収入の途を閉ざされ、かろうじて、失業保険、アルバイト等によって今日まで生存を維持してきたのであるが、それもすでに限界に達しており、今後、本案判決確定までこのような状態が長期に続くときは、生存の危機に瀕することは明らかであるから、地位保全と賃金等支払の仮処分を求める必要性がある。

二  申請の理由に対する被申請人の認否及び主張

1  申請の理由1記載の事実は認める。

2  同2記載の各事実のうち(三)の申請人が昭和五五年一二月一日に被申請人に対して就労の提供をなしたとの点は否認し、その余の事実は全て認める。

3  同3記載の事実のうち被申請人の就業規則に所論の規定の存在することは認めるが、その余は否認する。

右規定は勤務に起因しない傷害、病気に因って長期病気欠勤する場合の欠勤期間を定め、この期間治療に専念しうることを定めたものであって、会社が客観的に当該従業員が原職に復帰しうると認める保障のない限り復職させる義務を被申請人に負わせるものではない。被申請人と申請人とは、右就業規則を通じて、所定の欠勤期間を経過しても原職に復帰し得る迄に病状が回復していない場合は自動的に労働契約が消滅することにつきあらかじめ合意していたものであり、本件は右の事態が発生したため申請人は自動的に退職の効果が発生したものである。なお、申請人は、休職期間満了時点において、めまい・耳鳴・頭重感等の後遺症状を訴えていたため、被申請人は、申請人の復職の可能性に疑念をいだき、申請人からの復職の申出に対してこれを拒否し、申請人の長期病気欠勤の期間を例外的に昭和五五年一二月二五日まで三週間延長するとともに申請人に対して被申請人の指定医の診断を受けるように指示し、右指定医の診断及び被申請人の選任産業医の意見書をもとに、申請人の原職業務が搭載業務という航空機の運行の安全に直接関係するものである点を考慮し、申請人の原職復帰は申請人自身の健康及び安全に重大な影響を及ぼす惧れがあり、他方においては被申請人の運航搭載業務、ひいては航空機の事故を招来する危険性ありと判断し、申請人の原職復帰を不可能と判断して、右自動的な労働契約の消滅の確認のため申請人に対して昭和五五年一二月二五日をもって退職となる旨を通知したが、これらの措置は人命を預る被申請人の業務からも当然の措置である。また、被申請人が申請人に対し軽度な事務業務も存しないと告げたのは、被申請人会社は、申請人の長期欠勤中の経営上の危機に見舞われ、昭和五六年五月末日までに希望退職者を募って大巾な人員削減をし、全面的な人事異動を行ったため、申請人の退職当時に申請人に提供しうる事務業務は存しなかったためであり、一方、申請人の入社の際締結された労働契約によれば、申請人の勤務地及び職種は「東京国際空港(昭和五五年においては新東京国際空港)で営業関係職員」と定められており、申請人が本件復職後の職場として原職以外の職務、勤務場所を要求する権利のないことは明らかである。

4  同4記載の事実のうち、被申請人の賃金支払日が毎月二五日と定められていることは認めるが、未払賃金額、未払一時金額及び月額賃金額は全て争う。別紙1については「基本給」「時間外手当平均」「合計」の各欄記載の数額は争い(申請人には本件長期病気欠勤が存するため、申請人の右各欄についてのあるべき数額は別紙3のとおりである。)、その他の欄の数額は認める。別紙2については「基本給」「合計」の各欄記載の数額は争い(これらのあるべき数額は別紙4のとおりである。)、その他の欄の数額は認める。

5  同5の保全の必要性については争う。申請人は、現在川崎市の実母宅に同居して同家の営業(茶小売業)を手伝い、日常生活に事欠く様子はなく、自己所有の家屋を空屋のまま保有するなど生活に充分ゆとりがある。

第三疎明《省略》

理由

一  申請の理由1(当事者)、同2(申請人の長期病気欠勤・復職申出と、これに対する被申請人の復職拒否・退職取扱)記載の各事実については、申請人が昭和五五年一二月一日に被申請人に就労の提供をなしたとの点を除いて、当事者間に争いがない。また、被申請人の就業規則第一〇章第二条が、勤務に起因しない傷害、病気について定め、同条第二項が、「長期病気欠勤の場合継続した欠勤期間は下記を越えないものとする。」として、「勤続一〇年未満の者(試用期間中の者は除く)一二ヶ月、勤続一〇年以上二〇年未満の者一八ヶ月、勤続二〇年以上の者二四ヶ月」と定め、「この期間を過ぎた場合職員は退職とみなされる。」と規定していること、申請人が勤続一〇年以上二〇年未満の者に該当することについても、当事者間に争いがない。

二  そこで、被申請人が申請人に対してなした右退職取扱の当否について検討する。

1  前記就業規則第一〇章第二条第二項の規定が、従業員が勤務に起因しない傷害を受けたり病気に罹患した場合に、その療養のため一定期間を限度として欠勤しうる旨の従業員の権利を規定したものであること、そして、同項の「この期間を過ぎた場合職員は退職とみなされる」との規定は、所定の休職期間が満了してもなお当該従業員の傷病が治癒せず勤務に復帰しえない場合に、使用者は労務の提供をなしえないことを理由として当該従業員を改めて解雇するまでもなく、当然に契約が終了して自然退職となる旨を定めたものであることは明らかである。

ところで、右のような自然退職の規定は、休職期間満了時になお休職事由が消滅していない場合に、期間満了によって当然に復職となったと解したうえで改めて使用者が当該従業員を解雇するという迂遠の手続を回避するものとして合理性を有するものではあるが、本件におけるように、病気休職期間満了時に従業員が自己の傷病は治癒したとして復職を申し出たのに対し使用者の側ではその治癒がまだ充分ではないとして復職を拒否する場合の同規定の適用解釈にあたっては、病気休職制度は傷病により労務の提供が不能となった労働者が直ちに使用者から解雇されることのないよう一定期間使用者の解雇権の行使を制限して労働者を保護する制度であることに思いを至せば、右に述べた自然退職の規定の合理性の範囲を逸脱して使用者の有する解雇権の行使を実質的により容易ならしめる結果を招来することのないよう慎重に考慮しなければならない。

したがって、使用者が従業員の復職の可能性を否定して更に休職期間を延長するのであればともかく、復職を否定して休職期間満了による自然退職扱にする場合にあっては、被申請人の主張するごとく、会社が客観的に当該従業員が原職に復帰しうると認める保障のない限り復職させる義務を会社に負わせるものではなく休職期間の経過により自動的に退職の効果が発生すると解することは、復職を申し出る従業員に対して客観的に原職に復帰しうるまでに傷病が治癒したことの立証の責任を負わせることとなり、休職中の従業員の復職を実質的に困難ならしめる場合も生ずることになるから妥当ではなく、使用者が当該従業員が復職することを容認しえない事由を主張立証してはじめてその復職を拒否して自然退職の効果の発生を主張しうるものと解するのが相当である。そして、傷病が治癒していないことをもって復職を容認しえない旨を主張する場合にあっては、単に傷病が完治していないこと、あるいは従前の職務を従前どおりに行えないことを主張立証すれば足りるのではなく、治癒の程度が不完全なために労務の提供が不完全であり、かつ、その程度が、今後の完治の見込みや、復職が予定される職場の諸般の事情等を考慮して、解雇を正当視しうるほどのものであることまでをも主張立証することを要するものと思料する。

2  ところで、本件において被申請人が申請人の復職の申出を拒否した理由は、《証拠省略》によれば、被申請人は、申請人が復職にあたってはタウン勤務への転勤を希望する理由としてめまいや耳鳴等の後遺症状を訴えていたため同人の復職の可能性に疑念をいだき、昭和五五年一一月初旬頃、申請人に対して東京医科歯科大学付属病院で検査を受けるように指示し、更に同年一二月四日、病気欠勤の期間を二週間延期するから会社指定医の診断を受けるように指示し、申請人が右各指示に従って検査を受けた結果得られた東京医科歯科大学耳鼻咽喉科教授渡辺医師の報告並びに意見書、北里研究所付属病院副院長兼内科医長片桐鎮夫医師(会社指定医)の意見書をもとに申請人の原職の職務内容を考慮に入れて原職復帰不能と判断した被申請人の産業医である一瀬正治医師の判断を尊重して、申請人の復職を不可能と判断したためであることが一応認められ、他に同認定に反する疎明はない。

そして、《証拠省略》によれば、前記渡辺医師の報告並びに意見書には「聴覚に関しては(中略)その障害が言語周波数帯域には及んでいないことから、日常会話に不自由なく、また騒音中での電話やウオーキートーキーなどによる会話も、健康者と同等に可能と考えられる。」「身体平衡機能に関しては、昭和五五年一一月一四日の時点においては、頭部捻転、頭位変換などに際して軽度であっても異常がみられることから、自動車運転、高所作業、ベルトコンベヤー上の歩行などにあたり、頭位を変化すると平衡の失調を生ずる可能性があると考えられる。とくに夜間や暗所におけるこれらの作業、動作は危険性があるので禁止してほしい。」「以上の所見は、いずれも初診時またはその数日後における一回のみの検査によるものであり、今後の経過について、これのみで予測することは困難である。また、これらの異常な非特異的かつ軽度なものであるため、これのみで特定の原因を推定することはできないが、(中略)結核性髄膜炎に関連した神経耳科学的な後遺症の一種ではないかと推察している。」と記載されていること、前記片桐鎮夫医師の意見書には「結核性髄膜炎は原病巣からの血行性散布によるものである特性に鑑み治癒判定は極めて慎重を要す。」「耳鳴、めまい、ふらつき等の症状は広い意味での結核性髄膜炎後遺症と考える。」「後遺症に対する治療は今後も続行すべきであると考える。」「結核性疾患の常識として、今後一、二年は慎重な経過観察が必要で、しかる後治癒判定をすべきであろう。復職は極めて軽勤務から開始し徐々に作業量を上げる方針で行われることが望ましい。」と記載されていること、前記一瀬正治医師の意見書には「昭和五五年一一月二五日付東京医科大学耳鼻咽喉科教授渡辺氏の報告ならびに意見書、及び昭和五五年一二月一七日付北里研究所付属病院内科片桐鎮夫氏の意見書、及び当該人が所属する新東京国際空港支店運航課の職場と職務内容について昭和五五年一二月二〇日現場視察し、総合的に検討したところ上記職場(原職)に就労することは不可能と判断します。」と記載されていること、以上の事実が認められる。

一方、《証拠省略》によれば、申請人が復職の申出に際して被申請人に訴えていためまいや耳鳴等の後遺症状については、申請人が被申請人からタウン勤務への転勤の希望が入れられることはかなり困難である旨をいわれていたため、何とか右希望を入れて欲しいとの意図からその症状を実際よりも大袈裟に表現して訴えていたことが一応認められ、《証拠省略》によれば、申請人が昭和五五年一二月一日に被申請人に提出した、それまで一年二ヵ月にわたって申請人の治療にあたってきた成田赤十字病院三宅一郎医師の同年一一月二九日付診断書には「結核性髄膜炎加療中のところ、経過良好につき昭和五五年一一月三〇日をもって治療を終了し治癒と認定するので以後通常勤務さしつかえない。」との記載があることが疎明される。

3  申請人が復職申出をした当時の被申請人の職場の受入れ事情について検討する。

(1)  まず、申請人が復職に際して希望していたタウン勤務への転勤が認められなかった事情についてみるに、《証拠省略》によれば、昭和四八年の第一次石油危機により航空業界は深刻な影響を受け、被申請人の経営も赤字累積の一途をたどるようになったこと、その結果昭和五五年度の収支は著しく悪化し、経費節減、欠員の補充停止等では経営状態を建て直すことができなくなったため、ついに従業員の削減によるコスト・ダウンを計らざるをえない状況にまで追い込まれ、事実、昭和五六年度中には労働組合の協力を得て全従業員の二五パーセントを削減していること、また、右人員削減に際して被申請人が労働組合に示した削減案は、全従業員の三〇パーセントを削減する予定のもので、希望退職者数が予定人員に達しない場合には今年度中に満五〇才以上に達する男子、配転を希望しない者、現在長期欠勤中の者または私傷病で心身病弱の者等を対象として指名による勇退勧告を行う、といった内容の従業員にとって苛酷な条件を提示するものであったことなどが一応認められ、このような再建に向けての深刻な状況下において被申請人が申請人に復職の職場としてタウン勤務を提供しうる余地が存しなかったことは容易に窺いうるところである。

なお、《証拠省略》によれば、申請人は、被申請人に雇用されるに際しては勤務地及び職種は東京国際空港(昭和五三年からは新東京国際空港)で営業関係職員と特定されていたこと、被申請人の人事異動において空港勤務からタウン勤務へと転勤となる例は若干は見うけられるが、このような配転は被申請人の業務上の都合によるものであって、従業員の健康状態を配慮してタウン勤務に転勤させるといった配慮は被申請人においてはこれまで採られてきてはいなかったことなどが認められ(る。)《証拠判断省略》

(2)  次に、申請人の病気欠勤前の職場である新東京国際空港支店運航搭載課の業務についてみる。

《証拠省略》を総合すれば、被申請人の新東京国際空港支店運航搭載課の業務は運航計画、搭載、乗務員関係の業務に分けられ、申請人が従前担当していた業務は右のうち搭載業務であったこと、搭載業務の内容は(イ)旅具、貨物、航空郵便等の航空機への積下し作業の指揮、監督、(ロ)航空機の安全運行に関する搭載計画書、重量計算書(ロードシート)、バランスチャート等の書類作成、の二種に大別され、主として(イ)の業務を担当する者はコーディネーターと呼ばれ、主として(ロ)の業務を担当する者はドキュメンティストと呼ばれていること、このうち、コーディネーターの仕事は、その業務の遂行にあたって搭載課の事務室と駐機場の間を何回か往復することを要するために飛行場内を自ら自動車運転をし、下請業者が行う荷物の航空機内への積下し作業を指揮監督するために貨物室内に入るなどの高所作業をしたりすることがしばしばあること、一方、ドキュメンティストにあっては搭載課事務室内での書類の作成が主であるため、右のような自動車運転や高所作業はごく例外的な場合を除いてする必要がないこと、搭載業務はコーディネーター、ドキュメンティスト各一名が一組となって行うのであるが、これら業務に携る五名の課員はそれぞれコーディネーター専門あるいはドキュメント専門と分けられることなく、交々両業務を担当していること、被申請人が両業務を専門化させなかった理由はひとつは、課員全員に両業務内容を熟知させることによって両業務を安全かつ連携よく遂行させることができると考えたこと、もうひとつは、コーディネーターは室外作業が多いため肉体的疲労度がドキュメンティストに比べて大きく、一方ドキュメンティストの疲労は精神的なものであるため、課員をそれぞれの専属とすることは適当でないと考えていたこと、そして、この具体的な作業割当は課長が課員の健康状態、疲労度などを考慮して決めていた時期もあれば、課員間の話し合いで決めていた時期もあったこと、また、申請人自身、昭和五三年頃、腰痛のために他の課員の協力を得て一か月半程の間ドキュメンティストの業務だけをやっていたこともあることなどが一応認められ(る。)《証拠判断省略》

4  以上をもとに、被申請人が申請人に対してなした本件退職取扱の当否について判断するに、被申請人が申請人の復職申出に際してのタウン勤務への転勤を希望したのに対してこれを拒否したことは、前認定の被申請人の当時の経営事情からしてやむえなかった措置として認容しうるが、原職復帰を不可能として復職申出を拒否し、昭和五五年一二月二五日をもって退職したものとして扱っている措置は、相当性を欠き、これを容認することはできないものと思料するが、その理由は次のとおりである。

すなわち、被申請人が申請人の復職を不可能と判断したのは産業医の一瀬正治医師の判断を尊重したためであることは前認定のとおりであるが、その一瀬医師の判断の基礎となっている資料は、被申請人の新東京国際空港支店運航課の職場と職務内容の現場視察の結果のほか、前記渡辺、片桐鎮夫各医師の意見書であったことは前認定のとおりであるところ、これら両意見書の内容も、前認定のとおりであって、いずれも復職の可能性自体を否定するものではなく、復職にあたっては申請人に軽度ではあるが残っている身体平衡機能の異常の後遺症を考慮して自動車運転、高所作業等を禁止するという内容のもの、あるいは、復職にあたっては軽勤務から徐々に通常勤務に戻すことが望ましいという助言を与える内容のものであることが認められ、これら意見書に記載された内容の限りにおいては、前認定の運航搭載課の職場事情のもとにおいて申請人を他の課員の協力を得て当初の間はドキュメンティストの業務のみを行なわせながら徐々に通常勤務に服させていくことも充分に考慮すべきであり、前記の後遺症の回復の見通しについての調査をすることなく、また、復職にあたって右のような配慮を全く考慮することなく、単に一瀬医師の判断のみを尊重して復職不可能と判断した被申請人の措置は決して妥当なものとは認められない。また、右一瀬医師の意見書は、《証拠省略》及び前認定の同意見書の記載内容自体からして、申請人の復職可能性の判断につきコーディネーターとドキュメンティストの両方の業務を交互に担当する通常勤務の場合を想定して判断したものであって右に記載した配慮をも含めての判断ではなかったことが窺われ、一方、《証拠省略》によれば、一瀬医師の専門分野は形成外科、整形外科であることが認められ、したがって、一瀬医師の前記意見書における判断は、運航搭載課の職場事情が判断資料として加えられた点を除けば、前記渡辺医師や片桐医師の意見書に比べて特に措信すべきものであるということはできないから、同医師の意見書をもって被申請人の右措置が相当である旨の立証があったものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる疎明もみあたらない。

よって、被申請人の申請人に対する本件退職取扱の措置は無効のものであり、申請人の復職申出を容れて申請人を従業員として取扱うべきものであると思料する。

三  《証拠省略》によれば、申請人は、被申請人からの賃金を唯一の生活の糧としていた労働者であり、被申請人からの収入の途を閉されて以来、失業保険や実家の営業(茶小売業)の手伝いによる収入で妻と二人の子供の生計を支えてきたが、現在それも困難になってきていることが一応認められる。

被申請人の賃金支払日が毎月二五日と定められていることについては当事者間に争いがないが、申請人に支払われるべき賃金額については、被申請人は、申請人が本件長期病気欠勤が存するので一般従業員の昇給率に拠りえないとして申請人の主張する基本給額を争い、時間外手当や臨時給与についてもその数額を争っている。ただし、時間外手当を除いた昭和五五年一二月当時の申請人の賃金として、一ヵ月金三六万二一三〇円の限度で、被申請人もこれを認めるところである。

当裁判所は、本件にあらわれた諸般の事情を考慮すれば、申請人が本件仮処分の申請をなした昭和五六年九月以降本案判決確定に至るまで毎月金三六万二一三〇円の賃金仮払いを受ける限度で保全の必要性が認められるものと思料する。

四  よって、本件仮処分申請は、昭和五六年九月以降昭和五八年九月まで毎月金三六万二一三〇円の割合による金員の合計金として金九〇五万三二五〇円及び昭和五八年一〇月以降毎月二五日限り金三六万二一三〇円づつの仮払いを求める範囲においてこれを認容し、その余については保全の必要性を欠くものとして却下することとし、申請費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本正樹)

〈以下省略〉

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